知らぬ間に、「まんが日本昔ばなし」の公式YouTubeチャンネルが開設されていました。
そこで、今回の記事では個人的に好きな昔話ベスト3を発表していきます。
祝・公式チャンネル開設
公式チャンネルを発見したのは昨年12月頃です。友人との会話の中で「昔話」の価値についての話題が出たので、YouTubeで何となく動画を探していたところ、公式が動画を上げているのを偶然見つけました。
チャンネルの開設自体は昨年10月で、その後12月頃からネット上でその存在が認知され、登録者が伸び始めたそうです。↓
令和に蘇った「まんが日本昔ばなし」が人気に 公式YouTubeの登録者数14万人超え - ITmedia NEWS
僕も偶然そのタイミングで登録したことになりますが、あまりSNSを熱心に見ていないので、特にそういった盛り上がりは知りませんでした。(とは言え、盛り上がりを察知したYouTubeのアルゴリズムが検索結果にプッシュしてきた可能性はあるので、その影響もあるとは思います。アルゴリズムで制御されたネット空間に完全な偶然など無いのです。)
また、こちらも全く知らなかったのですが、昨年10月頃にマクドナルドが「まんが日本昔ばなし」とコラボしたCMを公式X上にアップしていたそうです。もしかすると、これがきっかけとなってのチャンネル開設なのかもしれません。
※画像は上記ITmedia NEWSの記事より引用
(ちなみに、コラボCMは画像を見てわかる通り、かなりネット受けを狙った「ネタ寄り」のものでした。これ、「まんが日本昔ばなし」に思い入れがある人にとってはかなり冒涜的な内容なのでは…。)
いずれにせよ、正直これまでは「まんが日本昔ばなし」に関しては違法アップロードの動画でしか見れないと思っていたので、公式チャンネルがしっかりとできて、そこで動画を公開してくれるのはかなり嬉しいことではあります。
独特で実験的なアニメーションの価値や、日本古来の昔話を語り継いでいく文化的意義を考えても、アーカイブをネット上に残していくというのは悪くない選択肢なのではないでしょうか。実際、現在の子供たちはテレビよりもYouTubeを見る割合の方が多そうなので、テレビで放映されていない今、YouTube上でこの作品に触れる機会ができるというのは良いことだと思います。
あの有名なOPとEDも公開されています。
エンディング曲の「にんげんっていいな」は今聞いても名曲ですね。
公式の投稿によると、現在、チャンネルは著作権保護の作業を進めており、その影響で動画の公開本数を調整しているそうです。実際、最初に訪れた時よりも公開されている昔話の本数が減っており、更新もここ1ヶ月の間は行われていないようです。
今回の記事で、違法アップロードではない公式の動画を思う存分埋め込みながら紹介できると思っていたので残念なのですが、今後の事を考えての施策だと思うので気長に待とうと思います。
「まんが日本昔ばなし」の思い出
ベスト3発表の前に個人的な話を少し…。
「まんが日本昔ばなし」は僕が生まれる前に放送されていたテレビシリーズです。なので、本来は「ハイジ」や「赤毛のアン」のような世界名作劇場系の作品と同様、「有名だから名前は知っているけど、見たことはないから内容はほぼ知らない」という類の作品になるはずです。しかし、僕の幼少期の思い出の中には「日本昔ばなし」が確かに存在しているし、内容をおぼろげながら覚えている昔話がいくつもあります。そしてその中のいくつかは、あの独特な絵柄のイメージと共に、僕の心の奥底にある「原初的風景」の一つとなっているのです。
この理由について考えたとき、最初に思い当たるのが実家に置いてあった「日本昔ばなし」の絵本です。たくさんの昔話の中から選ばれた名作100本ほどを集めた総集編のような本で、絵本と言ってもかなり分厚さのある大判の本でした。基本的には文章が主体で、アニメから抜粋された場面が挿絵としていくつか入っているというスタイルの本です。
ネット上で探してみると、現在も現役で販売されているようです。表紙も全く同じで懐かしさを感じます。↓
今、公式サイト上で目次をざっと眺めてみても、内容を覚えているお話がいくつもありました。内容まではいかない場合でも、それぞれの昔話に挿入されていた個性的なイラストは大半のものが思い出すことができます。
したがって、僕がこの本を最初から最後まで熱心に読んだことがあるのは確かなようです。不思議なことにこの本を何歳ぐらいのときに読んでいたのかは全く思い出せません。しかし、この本の記憶が僕の中に「日本昔ばなし」のイメージを形作ったのは間違いないだろうと思います。
一方で、絵本だけでは説明がつかないこともあります。というのも、僕はあの有名なOPやEDについても、その記憶が存在する気がするからです。
そこで、ウィキペディアで放送期間について調べてみたところ、2005年から2006年にかけてデジタルリマスター版が再放送されていることが分かりました。つまり、僕は運よく幼少期にテレビで「まんが日本昔ばなし」を目にすることができた世代なのです。その頃の記憶を思い出すことは全くできないのですが、その時にテレビでOPやEDも含めて昔話を見ていた可能性はあると思います。
こうやって思い返してみると、割と触れる機会は多かったんだなという印象です。もちろん、大人になってからYouTube上で知った昔話もあります(というか、ベスト3にはそっちの方が多いです)。ただ、子供の頃にこういった日本古来の民話的なものに触れることができたのは幸運な事だったなとしみじみ感じます。しかも、流行りの絵や刺激の多いアニメとは違った、商業ベースから離れた作品です。こういった作品の方が案外、心の中に残っていくものなのではないでしょうか。
逆に今の子供たちにはこういった作品が残されているのだろうかとも感じます。「鬼○の刃」をはじめアニメ産業は盛んですが、いい年した幼稚な大人たちが「推し」だの「泣いた」だのといって騒いでいるだけで、本当に子供たちにとって意味のある作品を残せているのかはかなり疑問です。まあ、これは個人的な愚痴かもしれませんが。。。
個人的に好きな昔話ベスト3
前置きが長くなりましたが、ここからは個人的に好きな昔話ベスト3を発表したいと思います。
まだ公式チャンネルに動画が上がっていないものばかりなので、まんが日本昔ばなし〜データベース〜という有志の方々が運営しているデータベースのリンクを貼っておこうと思います(あらすじ紹介や画像があって便利なサイトです)。公式チャンネルに動画が上がり次第、そちらの方もYouTubeの埋め込み機能を使って紹介していく予定です。
画像はすべて上記データベースからの引用です。
第3位 「飯降山」
あらすじ
山で修行中の三人の尼さんの話です。
空腹に耐えながら修行している彼女らの前に、ある日おにぎりが3つ現れます。神様(仏様?)からのお恵みだと考えた彼女たちは、おにぎりを3人で1つずつ分け合って食べることにしました。
それからも、おにぎり3個は毎日空から降ってきました。やがて、1個のおにぎりでは満足できなくなった最年長の尼さんともう一人の尼さんは、二人で結託して一番年下の尼さんを殺してしまいます。これで、おにぎり3個を二人で分け合えると思った尼さんたちでしたが、その日からおにぎりは2個しか降ってこなくなりました。
さらにその後、最年長の尼さんがもう一人の尼さんも殺してしまいます。もうおにぎりが1つしか降ってこなくなるのではないかと心配した尼さんでしたが、それ以来おにぎりは1つも降ってこなくなりました。
その後、村の猟師が山を下りてきた一人の尼さんを発見します。尼さんは最初に山を入っていった時とは違い、飢えて荒れ果てた姿に変わってしまっていました。これ以来、この山を「飯降山」と呼ぶようになったとさ。チャンチャン♪
感想
救いが差し伸べられるが欲を出した結果破滅する、という「蜘蛛の糸」的な教訓話です。大人になってから「本当は怖い昔話」の一つとして知りました。
YouTubeでアニメーションを見ることができるのですが(違法アップロードですが…)、3人の尼さんたちのバトル・ロワイヤルが結構コミカルに描かれているので、そんなに暗い雰囲気はないです。むしろちょっと面白いです。演出を担当したのがギャグ漫画家のいがらしみきおさん(「ぼのぼの」で有名)だからかもしれません。
ちなみに、飯降山は本当に福井県に実在する山だそうです。
第2位 「吉作落とし」
あらすじ
ある村に吉作という若者がいました。
吉作は身寄りのない一人暮らしで、岩茸(岩壁に生えるキノコ的なもの)を採って生活していました。
ある日、いつものように吉作は岩茸採りに出かけました。綱を掴みながら岩壁に降り、狭い足場を頼りに岩茸を採っていきます。しばらく作業した後、ちょうどいい広めの足場を見つけた吉作は、そこに座り綱から手を放して一休みしました。
やがて立ち上がり仕事に戻ろうとした吉作は、上を向いて衝撃を受けます。今まで体重で伸び切っていた綱は手を放したせいで縮んでしまい、もう手を伸ばしても届かない所にあるのです。綱はすぐ目の前にあるのに届かない。上に上がれそうな取っ掛かりもない。断崖絶壁に取り残されるという絶望的状況で吉作は深く後悔しますが、どうにもなりません。
吉作は大声を出して助けを呼びました。しかし、山にこだました声は不気味な響きとなり、村の人々は化け物が鳴いていると恐れて、却って山に近づかなくなりました。
何日も岩場に取り残されていた吉作は、ある日朦朧とする意識の中で岩のかけらがゆっくりと崖下へ落ちていく様子を見ます。
「ここから飛び降りれば、俺もゆっくりと着地できるかもしれない」
ついに吉作は岩場を飛び降りました。そして彼は、眼下を赤く染める美しい紅葉の中に吸い込まれて行きました。これ以来、村人たちはこの岩場を「吉作落とし」と呼ぶようになったとさ。チャンチャン♪
感想
「救いが無さすぎる昔話」としてかなり有名な話です。この昔話も大人になってから初めて知りました。
確かに救いがないです。吉作は特別悪人ではないですし、むしろ若いうちに両親を亡くしながらも一人暮らしで頑張っている善良な青年です。しかし、それが仇となったのか、誰も吉作が仕事から戻ってこないことに気づきません。助けを求める声も完全に裏目に出てしまいます。吉作に落ち度があるとすれば、油断して綱から手を放してしまったというその一点のみです。
昔見たYouTubeのコメント欄では、「綱を放すべきではなかった」とか「前もって崖に行くことを誰かに知らせておくべきだった」といった、いかにもネットらしい後出しじゃんけんで優位に立ちたいタイプのコメントもそこそこ見受けられたのですが、この話の真意はそんな退屈な教訓ではないと思います。じゃあ何が教訓なんだと言われても困るのですが…。むしろ教訓も何もないというのが人生の本当の姿なのではないでしょうか。
しかし、この「やっちまった…」と血の気が引くという感覚は、程度の差こそあれ誰でも人生で経験することではないでしょうか。そういった意味では共感性のある話ではあると思います。加えて、ラストの投身シーンも残酷ですが何とも言えない美しさがあるのです。(ちなみに火事などで高層階に取り残された際、極限状態の中で地面が実際よりも近いように錯覚して飛び降りてしまう、というのは実際に存在する現象だそうです。9.11の時の"falling man"なんかが有名です。)
「吉作落とし」も、大分県と宮崎県の県境にある傾山に実在する崖の名前だそうです。
第1位 「キジも鳴かずば」
あらすじ
昔、川の近くにある村がありました。この村はたびたび起こる川の氾濫に悩まされていました。
その村には、弥平とお千代という二人の父娘が暮らしていました。母親は川の洪水によって早くに亡くなってしまったのです。
ある日、お千代が熱を出します。弥平は必死に看病しますが、病気はひどくなる一方です。生死の境の中でお千代は言います。
「おら、あずきまんまが食いてぇ…」
あずきまんまはお千代の大好物です。弥平はお千代にあずきまんまを何とかして食べさせたいと思いますが、貧乏なのであずきを買うお金がありません。そこで彼は、やむなく村の地主の蔵から米とあずきを盗んできて、お千代にあずきまんまを作ってやりました。
あずきまんまを食べたおかげか、お千代の病気はすっかり良くなりました。元気になった彼女は外で手毬を突きながら、あずきまんまを食べたことを歌にして歌いました。
やがて、雨が激しくなってきたことで、村は川の氾濫を防ぐために人柱を立てることになりました。しかし、人柱にするべき咎人(犯罪者)がいません。そんな中、お千代の歌を偶然耳にしていた村人は、弥平が盗みを働いたことを告げ口します。弥平は咎人として連行され、人柱として土に埋められてしまいました。
お千代は父親が埋められた場所で何日も何日も泣いていました。彼女の泣く声は村中に響き、村の人々は心を痛めました。しかし、ある日彼女はぱったりと泣くのを止めてしまいました。そして、それ以来まったく口を利かなくなりました。
数年後、野原でキジを狩っている猟師がいました。キジの鳴き声が聞こえた猟師は、その声を頼りにキジを撃ち落とします。落ちたキジを取りに行くと、そこには一人の女に成長したお千代がいました。
「キジよ、お前も鳴かなければ撃たれなかったのに…」
お千代が喋れたことに驚く猟師をよそに、彼女はキジを抱えたままどこかへ消えていきましたとさ。チャンチャン♪
感想
この話は先述した絵本に収録されていた話なので、かなり小さい頃から知っていました。夕闇の中でキジを持って立っているお千代が子供心に結構怖かったことを覚えています。
悲しい話ですが、自分のせいで父親が埋められてしまうところや最後のキジのシーンも含めて、悲劇としてのプロットの完成度がかなり高い話だと思います。そういう点で、個人的にはナンバー1の昔話です。ずっと泣いていたお千代がある日突然泣くのをやめるという変化の唐突さも、何かしらリアリティが感じられます。
この昔話は最近まで公式チャンネルの方で公開されていたのですが、著作権保護の作業の一環か現在は削除されています。アニメーションの方もかなり質が高かったので、いずれ復活して欲しいです。
余談・悲劇について
紹介したベスト3ですが、ハッピーエンドが一つもありません。どれも悲劇的です。(「飯降山」は教訓的なので少し違いますが。)しかし、だからと言って物語として価値が劣るとは僕は考えません。
アリストテレスの『詩学』は主に悲劇について論じた本ですが、彼は最も優れた悲劇の筋として、「すぐれた人物がなんらかのあやまちを犯したせいで不幸になる」ことを挙げています。そのような筋によって観客に「おそれ」と「あわれみ」の感情を引き起こし、それを通じて感情の浄化(カタルシス)を達成することが、彼の主張する悲劇の目的です。
一般的な昔話、あるいはドラマや映画でもいいですが、そのような物語はたいてい悪人が不幸になり、善人が幸福になる勧善懲悪的な傾向を持っています。一方で、『詩学』ではこう述べられています。
しかしまた、まったくの悪人が幸福から不幸に転じることを示してはならない。このような組みたては、人情に訴えるものをもっているかもしれないが、あわれみもおそれも引き起こさないからである。なぜなら、あわれみは、不幸に値しないにもかかわらず不幸におちいる人にたいして起こるのであり、おそれは、わたしたちに似た人が不幸になるときに生じるからである。
引用:アリストテレース, ホラーティウス『詩学・詩論』, 松本仁助・岡道男 訳, 岩波文庫
悲劇の登場人物は不幸に値しない人間であるにもかかわらず、何らかの過ちを犯すことで不幸に転落します。このような登場人物を見て、観客である我々は彼らに対して「あわれみ」の感情を持つと同時に、同じような不幸が自分にも降りかかるかもしれない「おそれ」を抱くのです。
悪人が不幸になっても「おそれ」は抱きません。なぜなら、彼らは「悪」であり自分たちとは違うものだからです。「悪」ゆえに不幸に陥るのだから、「悪」ではない自分たちには関係のないことです。したがって、糾弾することも簡単です。
しかし、「おそれ」を抱かなければ他者に対する「あわれみ」を抱くこともできません。勧善懲悪的なヒーローものをいくら見ても、自分と違う他者への共感をはぐくむことはできないのではないでしょうか。
救いの無い悲劇こそ、人生のありのままの姿を理解するために必要なものだと思います。
