幼少期の思い出がいかにその人間の人格形成に大きな影響を与えるのかは、脳神経科学や心理学、精神分析の分野において良く知られた事実だと思います。
人間は脳が未発達のまま生まれてくるため、子供の頃の脳は可塑性が高く、身近な人間(特に両親)との関わりといった周囲の環境の影響を受けながら、その神経ネットワークを構築していくためです。
したがって、幼少期の頃に受けた大きな傷やトラウマ(いわゆる「小児期逆境体験」)は、その後何年にもわたってその当事者を苦しめることになります。
今回紹介する『John Lennon / Plastic Ono Band』(邦題:『ジョンの魂』)は、ジョン・レノンという一人の男が、一枚のアルバムを通してそのような自らの幼少期のつらい記憶をさらけ出し、表現することで、その苦しみを克服しようとした一つの精神的記録と言える作品です。
アルバムの中では、今まで抑圧していた両親に対する複雑な感情や母の死に対する嘆きといった、これまで彼が見せてこなかった過去が赤裸々に表現されています。そして、そのようなつらい子供時代やビートルズとしての活動、そしてオノ・ヨーコとの出会いを経て、当時の彼が辿り着いた一つの境地が彼の思想や宗教観と共に表明されているのです。
その純度の高さから、ジョンのソロ作品の中でも一二を争う、完成度の高い名盤になっています。
原初療法
このアルバムは1970年に発売されました。この年はビートルズ解散の年でもあり、これが解散後初のジョンのソロアルバムになります。この頃のジョンはおそらくかなり精神的に大変な時期にあったと思われます。オノ・ヨーコとの活動の増加によるメンバーとの軋轢や、その後の解散といったグループ関連の問題を抱えていたからです。
加えて、ドラッグの問題もありました。彼は60年代後半頃からヘロインに依存していたと言われており、前年にリリースされたソロ・シングル『Cold Turkey』で歌われているように、ヘロインを断った後の禁断症状にも苦しんでいました。
そんな中で、彼はヨーコと共に心理学者アーサー・ヤノフの下で、彼が考案した「原初療法(primal therapy)」というセラピーを受けています。
これは、神経症が抑圧されている幼少期のトラウマの苦痛から起こるという考えを基に、それらのトラウマを追体験し、その時の苦痛を完全に表現することで抑圧を解放し、問題の解決を図るという心理療法です。(無意識に抑圧された感情が身体的・精神的な問題を起こすという点で、フロイトの精神分析の流れを汲んでいるものと思われます。)時には、「原初的な叫び(primal scream)」と呼ばれる絶叫で苦しみを外に出すこともあるそうです。
こちらの「原初療法」ですが、現在は疑似科学とする意見が多く、正統な治療法としてはあまり評価されていないそうです。しかし、このアルバムに関して言えば、この療法に対する言及抜きではアルバムを語ることができない程、ジョン・レノンの作品制作に多大な影響を及ぼしています。
アルバム内の曲のいくつか(『Working Class Hero』や『Remember』)では、彼の幼少期の思い出や、その頃に感じていた周囲の大人への不信が語られています。さらに、現在の彼が抱えている不安や恐れも赤裸々に表現されています(『Isolation』や『Well Well Well』)。これら全て、「原初療法」による治療の一環と思えるほど、抑圧されていた苦痛や過去の記憶の表出に満ちています。
また、アルバム内の至る所で聴くことができる、魂の絶叫とでも言えるようなジョンの強烈なシャウトも、この作品の大きな特徴となっています。これはまさしく、「原初的な叫び」の音楽的表現と言えると思います。(余談ですが、日本だと尾崎豊がこういうタイプのシャウトが上手いですね。)
そして、このアルバムの最も大きなテーマとなっているのが、ジョンが抱えていた最も大きな幼少期のトラウマ―――すなわち「両親の不在」、そして「母の死」です。
ジョンの個人史
(↑ "Mother"のミュージック・ビデオ。ジョンの両親や彼の幼少期の写真が豊富に使われています。)
ジョン・レノンは1940年にイギリスの港町リヴァプールで、父アルフレッドと母ジュリアの間に生まれました。
父のアルフレッドは商船の船員をしており、仕事の特性上、家を空けることが多く、息子であるジョンが誕生した時も家にはいなかったそうです。
第二次大戦中も彼は海に出ており、生活費として小切手を定期的に妻と子供のいる家に送っていました。しかし、ある日突然送金はストップし、彼は失踪してしまいます。その後、家に戻ってきて家族の面倒を見ることを申し出ますが、その時ジュリアは既に他の男と付き合っており、その男との子供を身籠っていたためこれを拒否。
1946年に父アルフレッドは、息子と一緒にニュージーランドに移住することを画策してジョンを連れ出しますが、やがて母ジュリアによって彼女のもとに連れ戻されます。それ以来、ビートルズとして成功するまで20年近く、ジョンは父と再び会うことはありませんでした。
(ただ、その後の再会もジョンにとってはあまり快いものではなかったようです。息子の人気に便乗してレコード出したりしてますし…。やはり親子だからか、声や喋り方は息子ジョン・レノンにそっくりです。↓)
この間、ジュリアの姉であるミミの申し立てにより、ジョンの親権は実の母ジュリアから伯母であるミミのもとに移っています。そのため、ジョンはその後の子供時代を実の母親から離れて、この「ミミ伯母さん」のもとで暮らすことになりました。
両親と共に過ごすことができない事は、幼い頃の彼にとってかなりつらいことだったようです。
幼少期の彼は、問題児として周囲の大人から疎まれており、他の子どもの親たち(ポール・マッカートニーの父親含む)からは「あいつとは仲良くしちゃいけない」と言われていました。実際、ジョン自身の態度も反抗的で破壊的だったようです。後年のインタビューで、彼はそれらの問題行動の原因の一つとして、普通の家庭に対する羨望があったと自ら説明しています。
一方で、ミミ伯母さんのもとに移った後も、母ジュリアとの交流は続いていました。彼女がジョンのもとを訪ねることも多かったですし、ジョンが彼女の家を訪れることもありました。この時、ジュリアはエルヴィス・プレスリーのレコードをかけたり、彼にバンジョーの弾き方を教えたりすることもありました。
このように、音楽的な面で彼女がジョンに与えた影響は大きかったと思われます。初めてのギターをジョンに買い与えたのも彼女でした。これは、ミミ伯母さんの方が彼の音楽への熱中に対して冷淡だったのとは対照的です。
しかし、1958年、ジョンが17歳の時に衝撃的な事件が起こります。ジュリアがミミの家からの帰宅中、車にはねられて亡くなってしまうのです。彼女が44歳の時の出来事でした。
愛する母を失ったという事実はジョンの心にとって大きなトラウマとなりました。その後2年間、彼は激しい怒りに駆られたまま、大量の酒や喧嘩に明け暮れる日々を過ごします。
その後はよく知られている通り、ジョンはバンド活動に邁進し、ビートルズとして世界的なスターになっていきます。しかし一方では、心の奥底には両親を失った悲しみを抱え続けていたのだと思われます。(ちなみにポール・マッカートニーも幼い頃に乳がんで母親を亡くしています。この共通点が何かしら彼ら二人を互いに引き付けたのではないでしょうか。)
※以上、英語版ウィキを参考にまとめました。日本語版より詳細に書いてあるのでこちらを参考にしましたが、信頼性についてはウィキペディアなのでそれほど変わらないと思います。事実との相違があるかもしれません。
ジョン・レノンの宗教観
原初療法によって解放された幼少期の記憶と共に、このアルバムの大きな特徴となっているのが、曲中で表明されている当時のジョン・レノン自身の宗教観です。
ビートルズ時代に「今や僕らはイエス・キリストよりも人気だ(We're more popular than Jesus now)」と発言して議論を巻き起こしたように、彼は欧米における支配的な価値観であるキリスト教に対しては、元々あまり信仰心をもっていなかったと思われます。
その後、60年代後半のヒッピー文化やカウンターカルチャーの興隆によって東洋文化に(主にスピリチュアルな視点から)注目が集まると、ビートルズのメンバー達もその流れに大きく影響されることになります。特にインド音楽やヒンドゥー教に傾倒していたジョージ・ハリスンの勧めもあり、ビートルズはインドに渡ってマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのもとで瞑想を行うことになります。
(Beatles' Indian retreat opened to public - BBC Newsより引用)
あまり精神的なものに関心がなさそうなポールとリンゴはともかく、ジョンはジョージと並んで、そういった思想に対する期待は当初持っていたと思われます。(実際、彼の曲『Across the Universe』には"Jai Guru Deva Om"というマハリシの師を讃えるマントラが挿入されています。)
しかし、マハリシが女性信者に手を出したという噂によって(これに関しては諸説あります)、ジョンはマハリシに失望し、インドから帰国しています。その後もインド思想に関心を持ち続けたジョージに対し、ジョンはそれ以降、東洋思想を含むヒッピー的な神秘主義に対しても懐疑的な態度になります。
このような経緯を経た結果、このアルバムではあるゆる宗教に対して懐疑的な彼の考えが明確に表明されています。キリスト教や仏教、ヒンドゥー教、中国思想…。
アルバムの中でも象徴的な曲『God』では、それらの宗教と同列にして、ケネディやヒットラーといった政治家、エルヴィスやボブ・ディランといったミュージシャン、そして自らが所属していたビートルズについても「信じない」と断言しています。ビートルズ時代に味わった狂気じみた熱狂も、彼にとっては一つの宗教に見えたのかもしれません。
最終的に彼は自分、そしてヨーコだけを信じるというシンプルな答えに行き着きます。
収録曲紹介
1. Mother
不穏な鐘の音から始まる1曲目です。
両親に対する彼の想いを赤裸々に告白した一曲になっています。最終曲の『My Mummy's Dead』と並んで、アルバムのテーマになっている自身の過去との対峙が最も反映された曲であると言えます。
歌詞の内容は、自分を捨てた母と父に対するやり場のない怒りや寂しさを表現したものになっています。
Mother, you had me
But I never had you
I wanted you
You didn't want me母さん、あなたには僕がいた
でも、僕にはあなたがいなかった
僕はあなたを望んだ
でもあなたは僕を望まなかった引用:John Lennon "Mother"
Father, you left me
But I never left you
I needed you
You didn't need me父さん、あなたは僕を去った
でも、僕はあなたを去れなかった
僕はあなたを必要とした
でもあなたは僕を必要としなかった引用:John Lennon "Mother"
父は家を出ていき、母は他の男と暮らし始めて、自分は伯母さんの家で暮らすしかなかった…。そんな両親から引き離されたジョンの過去の苦しみが露わにされた歌詞です。心なしか幼い子供のように聞こえる彼の歌い方も、歌詞の内容によくマッチしていると感じます。
そして、彼はそんなつらい過去からの決別を歌います。
So I just got to tell you
Goodbyeだから、僕はあなたに伝えなければ
さようなら引用:John Lennon "Mother"
しかし、曲の後半では抑圧していた両親を求める気持ちが爆発するかのように、同じフレーズを何度もリフレインします。
Mama, don't go
Daddy, come homeママ、行かないで
パパ、帰ってきて引用:John Lennon "Mother"
泣きわめく幼子のように喉の奥から絞り出されたシャウトは圧巻です。原初療法のテーマである過去の再現とその苦痛の表現が、一つの曲の中で完璧に実践されていると言えるのではないでしょうか。
2. Hold On
Hold on, John
John, hold on, it's gonna be alright踏ん張れ、ジョン
ジョン、踏ん張るんだ、きっと大丈夫だから引用:John Lennon "Hold On"
2分足らずの長さの、静かな曲です。
"Hold on"は困難な状況にあっても何とか持ちこたえる、頑張って耐えるという意味だそうです。困難にめげずに今の状態を維持する、あるいは現在の活動を継続する、というニュアンスだと思われます。
この曲では、自分(ジョン)やヨーコ、世界に対して"Hold on"と呼びかけ、きっと状況は良くなるという前向きなメッセージを歌ってくれています。
Hold on, world
World, hold on, it's gonna be alright
You're gonna see the light踏ん張れ、世界よ
世界よ、踏ん張るんだ、きっと大丈夫だから
君は光を見るだろう引用:John Lennon "Hold On"
世界に対する言及があることからもわかる通り、この歌は単なる個人的な苦境に対する励ましソングという側面だけではなく、より社会的なメッセージを含んだ曲であると考えられます。
1970年の当時は、60年代から続くベトナム反戦運動や女性解放運動のような社会運動が続いており、ジョンもヨーコと共にそういった活動に関わっていました。活動を続ける上で、世間の反発や中々変わらない現状といった現実的な困難にぶつかることも多々あったでしょう。
そんな自分たちに向けて、何とか踏ん張ることを説いているのだと思います。状況が良くなることを信じ、諦めたりヤケを起こしたりせずに今の活動を継続していくこと。そんな肯定的なメッセージを歌っているのです。
ここで「it's gonna be alright(きっと大丈夫)」と言い切るところがジョンらしいと感じます。
彼は、ビートルズ時代の「Revolution」という曲でも、過激な革命思想のもとで破壊や変革を求める当時の若者たちに向かって、彼らの考えを否定こそしないものの、もう少し落ち着いて考えるように諭しています。そして、このように歌っているのです。
Don't you know it's gonna be alright?
きっと大丈夫だって君は知らないのかい?
引用:The Beatles "Revolution"
ジョンは、社会に対する関心や問題意識は持ちながらも、特定のイデオロギーに属したり、急進的な現状の否定に走ったりすることはありませんでした(少なくとも現在の僕の知る範囲では)。
それは、どれだけ世界に対して失望しても、「きっと大丈夫(it's gonna be alright)」だという世界に対する肯定を捨てなかったからだと思います。
歴史を見ていると、社会が不安定になった際にはいつも、既存の制度や価値観全てを否定することで物事を解決しようとする勢力が台頭してきます。非常に単純化された変革を訴える指導者がおり、それを無批判に支持する大衆が現れるのです。現代もそういう時代の一つのように見えます。
しかし、そういう時こそヤケクソにならずに、世界への信頼と地に足のついた楽観主義を持ちながら、「Hold on」することが大切なのかもしれません。
(余談ですが、曲中ではジョンによるセサミストリートのクッキーモンスターのものまねが登場します。理由は謎ですが…。)
3. I Found Out
There ain't no Jesus gonna come from the sky
天からイエス様がやって来るなんてありゃしない
引用:John Lennon "I Found Out"
歪んだギターとドスの利いたボーカルで歌われる攻撃的なロック曲です。
歌われているのは、宗教に対する不信感です。自宅への訪問や電話で行われる勧誘への拒否から始まり、冒頭で引用した歌詞のようにキリスト教への懐疑を述べています。
加えて、かつてビートルズ時代に傾倒していたインド思想についてもかなり貶しています。
Old Hare Krishna got nothing on you
(中略)
There ain't no guru who can see through your eyesハレ・クリシュナのやつも君には及ばない
(中略)
君の眼を見透かせるグル(導師)なんていやしない引用:John Lennon "I Found Out"
ハレ・クリシュナはヒンドゥー教の神の一人であるクリシュナ神を讃えるマントラです。
ジョージ・ハリスンが信仰していたことでも有名で、彼はビートルズ解散後のヒット曲『My Sweet Lord』でこのマントラを何度も歌っています。(ちなみに彼はクリシュナ関係の団体に、荘園として土地の寄付まで行っています。なんか大丈夫か?と個人的には思ってしまいますが…。)
信心深いジョージとは対照的に、ジョンは既にインドの宗教に対しても冷めた目を注いでいるのがわかります。
さらに、最後には宗教をドラッグに例えた過激な批判も行っています。
I seen through junkies, I been through it all
I seen religion from Jesus to Paul
Don't let them fool you with dope and cocaine
No one can harm you, feel your own painヤク中達の正体を見透かしてきた、それら全て経験してきた
イエスからパウロ(ポール)までの宗教を俺は見てきた
麻薬やコカインで奴らに騙されるな
誰も君を損なえない、君自身の痛みを感じろ引用:John Lennon "I Found Out"
このような宗教に対する言及の仕方としては、マルクスの「宗教は民衆のアヘンである」という言葉が有名です。
当時はまだマルクス主義が流行っていましたし、ジョンも反戦運動などの社会活動を行っていたので、そのような左翼思想との接点はあったと思われます。ただ、彼がそこから影響を受けてこの歌詞を書いたのかどうかはわかりません。(まあ、この時のジョンならマルクス主義も一つの宗教だとすぐに見抜いたでしょうが。)
また、この部分の歌詞において面白いのが、「from Jesus to Paul」という一節における"Paul"という単語がダブルミーニングになっていると読めることです。
素直に解釈すれば、"Paul"を使徒パウロ(英語名ではポール)と解釈して、「イエスからパウロまで」になります。これは、パウロがイエスの教えを引き継いでローマ帝国などで布教した事実と合致します。
一方で、"Paul"をビートルズのメンバーのポール・マッカートニーを指していると考えると、ここでの"Paul"はビートルズを表していると解釈できます。すなわち、ジョンがビートルズという社会現象を一つの宗教だと考えており、「キリスト教からビートルズまで」人々は形を変えながら様々な麻薬に熱狂してきた、と読み取ることもできるのです。
これらすべてを踏まえて、ジョンは"I found out"(=「僕は気付いてしまった」)と歌ったのかもしれません。
4. Working Class Hero
They hurt you at home, and they hit you at school
彼らは家で君を傷つけ、そして学校で君を殴った
引用:John Lennon "Working Class Hero"
イギリスは階級社会と言われていて、上流階級(upper class)・中流階級(middle class)・労働者階級(working class)の三つの階級が存在するとされています。この歌は、その中で最も下層である労働者階級の子供が大人になっていくまでを歌ったものです。
アコギ一本で歌われており、使用されているコードは基本的にAマイナーとGメジャーの二つだけです。(なので弾くのは割と簡単かもしれません。)これらのコードを何度も繰り返しながら、ままならない現実が低く歌われます。短調(マイナースケール)であることも相まって、曲全体が陰鬱な印象を与えます。
曲の前半は、子供時代に家や学校で感じる大人たちからの抑圧が歌われています。教師をはじめとする大人たちが、いかに子供の心を痛めつけ、理不尽な規則を押し付けるかが克明に描写されています。
これらの歌詞は、子供時代に問題児としてそのような抑圧を感じ続けたジョン・レノンによる告発とも捉えられる気がします。特に以下の一節なんかは、彼らしい洞察に満ちています。
They hate you if you're clever, and they despise a fool
もし君が賢いと彼らは君を嫌い、その一方で彼らはバカを見下す
引用:John Lennon "Working Class Hero"
そんな描写の合間に、主人公の君(you)に語りかけるように何度も同じフレーズが挿入されます。
A working class hero is something to be
労働者階級の英雄こそ、なるべき価値のあるものなんだ
引用:John Lennon "Working Class Hero"
翻訳が難しいフレーズです。"something"という単語は、単なる「何か」という意味だけでなく、「たいしたもの〔人〕」、「重要なもの〔人〕」という意味もあるそうです。ここでは後者が当たります。
そこにto不定詞の形容詞的用法である"to be"(=なるべき、なるための)がくっついているので、「なるべき価値のあるもの」と解釈しました。
と言っても、言わんとしていることは割とわかりやすいと思います。「労働者階級の英雄」とは、本来社会的に成功できず、貧困に甘んじることになる労働者階級にあって、そこから這い上がって成功した「ヒーロー」を指すと思われます。わかりやすい例で言うと、サッカー選手やロックスターです。あるいは、事業を起こして成功させた人間なども入るかもしれません。
したがって、つらい子供時代を送る主人公が、この現状や階級的格差を打破する唯一の手段として、「労働者階級の英雄」になるしかないと自分自身に語りかけている様子、あるいはそんな思いを心の中に抱いているという様子を描写していると捉えられるのです。
しかし、曲の後半では、社会に出てからの残酷な現実が描かれます。
Keep you doped with religion and sex and TV
And you think you're so clever and classless and free
But you're still fucking peasants as far as I can see宗教やセックス、テレビに浸かり切ったままでいるんだ
そして自分がとても賢くて、階級差も無くて、自由だと君は考える
でも、僕の見る限り、君は依然として小作人のままだ引用:John Lennon "Working Class Hero"
There's room at the top they are telling you still
But first you must learn how to smile as you kill
If you want to be like the folks on the hill頂上にはまだ空きがある、今も彼らは君にそう言う
でも、まず君は殺しをする時も笑顔でいる方法を学ばなくちゃいけない
もし君が丘の上にいる連中みたいになりたいのなら引用:John Lennon "Working Class Hero"
様々な快楽に目をくらまされて、自分が社会の歯車であることを忘れる大衆の無自覚さや、社会的な競争に勝ち抜くためには非人間的にならざるを得ない現実、そんな社会が批判的に表現されています。
そして最後には、ジョンからのこんな言葉で締めくくられます。
If you want to be a hero well just follow me
もし君が英雄になりたいなら、俺についてこい
引用:John Lennon "Working Class Hero"
ここで問題なのが、"Working class hero"という言葉をどのように受け取るかということです。
一見すると、つらい境遇に押し込められた労働者階級に向かって、ロックスターとして成功した彼が「俺みたいな英雄になれ」と扇動しているようにも聞こえます。この場合、"Working class hero"というのは、まさしく「なるべき価値のあるもの」であり、理想像です。
しかし、このアルバムで表明されている当時のジョンの思想を考えると、その可能性は低いと思います。彼はビートルズとして熱狂の渦の中で活動していた自分自身の過去のことを肯定的には見ていません。むしろ、ビートルズを抜けて自分ひとりになったことで、初めて本当の自分になったと歌っています。
また、他の曲の中で歌われている、あらゆる宗教や偶像化に対する拒否から考えると、自分が「英雄」として崇拝されることも否定するはずです。
したがって、この曲において、"Working class hero"というのはある意味、皮肉的に語られているのだと思います。労働者階級という立場から抜け出すために夢見ていたけれども、彼が実際にロックスターになって感じたことは、そんなものは実は英雄でもなんでもなかったという実感を歌っているのです。
社会に出てからの事を描写している曲の後半の歌詞も、あるいは"Working class hero"の実態を歌っているのかもしれません。結局ロックスターも、音楽業界というシステムやファンの熱狂の奴隷である「小作人」でしかないのです。システムから逃れようとするアーティストが、商業主義の中で結果的にシステムに取り込まれるというのはありふれた話です。(ピンク・フロイドの"Dogs"でも、ロジャー・ウォーターズが似たようなことを歌っています。)
そう考えると、曲調が最後まで盛り上がることなく陰鬱で、最後の「もし君が英雄になりたいなら~」のパートが妙に徒労感に溢れた歌い方になっているのも説明できます。
5. Isolation
People say we've got it made
Don't they know we're so afraid?人々は僕らが成功者だと言う
彼らは僕らが恐れているのを知らないのだろうか?引用:John Lennon "Isolation"
『Isolation(孤立)』というタイトルの曲です。当時のジョンとヨーコが抱えていた不安や恐れ、世間との隔絶が、飾り気のない言葉でストレートに綴られています。
当時、ジョンとヨーコはベッド・インのような平和のためのパフォーマンス活動を行っており、メディアに露出する機会も多くありました。しかし、それによる誹謗中傷や心無い記事も多数あったのでしょう。この曲の中では、世間が彼らに抱いているイメージと本来彼らの間の乖離が率直に表現されています。
Just a boy and a little girl
Tryin' to change the whole wide worldただの男の子と小さな女の子が
この広い世界を変えようと頑張っているんだ引用:John Lennon "Isolation"
彼は、自分たちが孤独になることを恐れたり、世間の人々に怯えたりしている小さな存在に過ぎないことを静かに語りかけているのです。
しかし、サビの部分では自分たちを攻撃する人間に対して、このようなメッセージを発しています。
I don't expect you to understand
After you've caused so much pain
But then again, you're not to blame
You're just a human, a victim of the insane君が理解してくれるとは思わない
君にたくさん苦しめられたんだから
でも、君を責めることはできない
君は一人の人間に過ぎない、この狂気の犠牲者なんだ引用:John Lennon "Isolation"
1968年のインタビューで、ジョンは「僕らの社会は狂った人々によって、狂った目的のために動かされている」と述べています。ベトナム戦争や東西冷戦といった社会状況を背景にした発言だとは思いますが、いつの時代においてもこの発言が当てはまる側面はあると思います。我々は、何かしら狂った社会の中で暮らしているのです。
したがって、自分を苦しめる敵対者そのものを責めるのではなく、その人間も社会の狂気の中で生じた一人の犠牲者と捉える視点は重要だと思います。というのも、人間の思想や行動はその人間を取り巻く社会の価値観やシステムの影響からは絶対に逃れられないからです。
SNSの炎上で騒いだり、誰かを攻撃したりしている人々も、そう言った意味では何かの犠牲者なのかもしれません。(だからと言って不快であることには変わりありませんが…。)
(↑ なんと公式がインタビューの動画を上げてくれていました。6か月前という、つい最近の投稿です。日本語字幕が無いのが残念ですが。)
6. Remember
Remember when you were small
How people seemed so tall思い出すんだ、君が小さかった頃
どんなに人々の背が高く見えていたかを引用:John Lennon "Remember"
「Remember(思い出すんだ)」という言葉と共に、ジョンが自身の子供の頃の思い出を回想していく曲になっています。アルバム内の多くの曲と同様、原初療法によって向き合った彼の子供時代をテーマにした作品です。
「Working Class Hero」と同様に、子供の頃の思い出は大人からの抑圧やそれによる無力感といった悲しいものに満ちています。もちろん、両親との思い出もその一つです。
しかし、サビ前の歌詞で、それらの過去を置き去りにせずに抱えた上で、今を見つめることを決意します。
If you ever change your mind about leaving it all behind
Remember, remember todayもし君が、それら全てを後に置いていくという心を変えたなら
覚えていて、覚えておくんだ、今日という日を引用:John Lennon "Remember"
過去を思い出す(remember)と同時に、今という時間を覚えておく(remember)という意味が込められたタイトルなのだと思います。
子供時代のつらい描写とは裏腹に、過去も現在も肯定するような明るさに満ちた曲です。サビの歌詞がそれをよく表しています。
And don't feel sorry
About the way it's gone Don't you worry
About what you've done残念に思わないで
過ぎ去ってしまった様を
心配しないで
君がしてきたことを引用:John Lennon "Remember"
ちなみに、この曲は以下の歌詞の後、爆発音とともに突然終わるという奇妙な終わり方をします。
Remember, remember, the Fifth of November
忘れるな、忘れるな、11月5日を
引用:John Lennon "Remember"
調べてみたところ、この歌詞は「ガイ・フォークス・ナイト」というイギリスの有名な伝統行事と関係があるそうです。
ガイ・フォークス・ナイトを楽しむための6つの豆知識 - 英国ニュースダイジェスト
ガイ・フォークス・ナイトは、1605年11月5日に国会議事堂を爆破するという陰謀が発覚して、実行犯の一人であるガイ・フォークスが逮捕された出来事をきっかけに始まった行事です。
当時のイギリスでは、英国国教会を重視する国王ジェームズ1世によってカトリック教徒は弾圧されていました。そこで一部のカトリック教徒は、国王や議員を一挙に殺害するために国会議事堂を爆破する計画を立てます。彼らが一堂に会する議会開会日に向けて、議事堂の地下に火薬をせっせと運んでいたそうです。
しかし、密告によって計画は実行前に発覚し、ガイ・フォークスは議会の地下室で逮捕されます。その後、カトリックの陰謀から国王が守られたことを記念して、11月5日は祝日として祝われることになりました。別名を花火の夜(Fireworks Night)というように、市民はガイ・フォークスを模した人形を燃やしたり、花火を打ち上げたりして祝うことが慣習化したそうです。現在も続いているようですが、行事の本来の意味は時代と共に薄れて、今は単なる花火のイベントとして楽しまれているようです。
"Remember, remember, the fifth of November"というのは、お祭りの際に歌われる定型句ということです。もちろんジョンもイギリス人なので、この行事に親しんでいたでしょう。洒落の一つとしてこのフレーズを入れたのかもしれません。背景を調べると、爆発音で終わるのも納得できます。
7. Love
Love is you, you and me
愛は君、君と僕
引用:John Lennon "Love"
静かなピアノの音から始まる一曲です。
控えめな伴奏と共に、穏やかなジョンの歌声が響きます。愛について歌った歌詞もとてもシンプルで、一つの詩のような優しい響きを持っています。
Love is real, real is love
Love is feeling, feeling love
Love is wanting to be loved愛は本物、本物は愛
愛は感じること、愛を感じること
愛とは、愛されたいと望むこと引用:John Lennon "Love"
様々な経緯を経て、一つの愛(すなわち、ヨーコとの愛)にたどり着いた彼の率直な気持ちを表現すると、このようなシンプルな形になるのでしょう。
アルバムの中の「静」となる楽曲の一つですが、幸福感に溢れた良曲だと思います。
8. Well Well Well
I took my loved one out to dinner
So we could get a bite to eat僕は恋人を食事に連れ出した
軽い食事をするためにね引用:John Lennon "Well Well Well"
歪んだギターのイントロで始まる曲です。「I Found Out」と並び、このアルバムの中ではロックン・ロール色の強い曲の一つです。曲の中盤や終盤ではジョンの激しいシャウトを聞くことができます。
歌詞では、ヨーコと過ごす自身の日常が描かれています。「Isolation」で語られたような二人が抱える不安も歌われますが、一方で政治色のある歌詞も含まれています。
We sat and talked of revolution
Just like two liberals in the sun
We talked of women's liberation
And how the hell we could get things done僕らは座って、革命について語り合った
日なたの中の二人のリベラルみたいに
僕らはウーマン・リブについて語り合った
そして、一体どうやって成し遂げるかについても引用:John Lennon "Well Well Well"
このような描写を見ていると、女性解放運動(ウーマン・リブ)への関心を始めとして、思想的な面でジョンがヨーコから様々な影響を受けていたことがよくわかります。(女性解放運動に関しては、ジョンはその後、「Woman is the n****r of the world」や「Woman」といった曲でその考えを表現していきます。)
また、曲中では"Well well well", "Oh well"という言葉が何度も繰り返されます。
"Well well well"は驚いた時になどに使う間投詞だそうです。割と皮肉めいた響きもあるそうで、「これはこれは」「おやおやおや」といった感じでしょうか。一方、"Oh well"は良くないことをあきらめて受け入れる時に使われるそうです。「まあいいや」「仕方がない」といった意味合いだと思われます。
これらの言葉がどういう意味を表しているのかはよくわかりません。ジョンが日常で起こることに対して、そのような反応をしているということの表現なのでしょうか…。
9. Look At Me
Look at me
Who am I supposed to be?
Who am I supposed to be?僕を見て
僕はどんな人間になればいい?
僕はどんな人間になればいい?引用:John Lennon "Look At Me"
「Love」と同様、静かでシンプルな曲です。こちらはアコギ一本で演奏されています。
フィンガー・ピッキング(ピックを使わずに指で弦をはじく奏法)で演奏されているため、優しい響きの音になっています。ビートルズ時代の「Julia」と近いテイストです。(実際、作曲が始められた時期自体も近いそうです。)
「僕を見て」と何度も繰り返し訴える歌詞になっています。歌詞の中で"Oh, my love(愛しい人よ)"と呼びかけているので、恋人に向けて問いかけていると考えるのが自然でしょう。
一方で、子供が母親に向かって何度も呼び掛けているような雰囲気も感じられます。
Here I am
What am I supposed to do?
What am I supposed to do?僕はここにいるよ
僕は何をすればいい?
僕は何をすればいい?引用:John Lennon "Look At Me"
自分をもっと見てほしい、自分に気付いてほしい、そのためには何をすればいい?……そんな一人の人間の率直な感情がありのままに歌われています。
何となくですが、こういった感情は人間にとってかなり根源的なもののような気もします。あらゆる人間の行動の動機は、このような欲求に帰着する気もするのです。
個人的にはアルバムの中でもかなりお気に入りの曲です。何故かはわかりませんが。
10. God
God is a concept by which we measure our pain
神とは、僕らの苦しみを測る一つの概念だ
引用:John Lennon "God"
アルバムの核となる曲です。当時の彼の宗教観や信念、そして解散してしまったビートルズに対する当時の彼の考えが表明されています。
最初に引用した、神について述べた有名な歌詞の一節は、原初療法を行っている際に治療者のアーサー・ヤノフとの対話の中で生まれたそうです。
神(God)を一つの概念と言い切るのは、一神教においては神への冒涜に当たるのでしょう。しかし、やはり神という概念も結局は人間の創造物です。そして、苦しみが大きければ大きいほど、「信仰心」というものが強まっていくのも納得できる意見だと思います。宗教や信仰というものの本質を簡潔に言い表した言葉ではないでしょうか。
しかし、彼はその後であらゆる信仰に対する拒否を突き付けていきます。少し長いですが、重要な部分なので全て引用してみます。
I don't believe in magic
I don't believe in I Ching
I don't believe in Bible
I don't believe in Tarot
I don't believe in Hitler
I don't believe in Jesus
I don't believe in Kennedy
I don't believe in Buddha
I don't believe in mantra
I don't believe in Gita
I don't believe in yoga
I don't believe in kings
I don't believe in Elvis
I don't believe in Zimmerman
I don't believe in Beatles僕は魔法を信じない
僕は易経を信じない
僕は聖書を信じない
僕はタロットを信じない
僕はヒトラーを信じない
僕はイエスを信じない
僕はケネディを信じない
僕は仏陀を信じない
僕はマントラを信じない
僕はギーターを信じない
僕はヨガを信じない
僕は国王たちを信じない
僕はエルヴィスを信じない
僕はジマーマンを信じない
僕はビートルズを信じない引用:John Lennon "God"
ここでは、とにかくあらゆるものに対する不信が述べられています。
まず、「魔法」や「タロット」といったオカルト的なものに対する拒否があります。そして、「イエス」や「聖書」といったキリスト教に対する否定があります。
その上で、彼は60年代にそのような保守的なキリスト教価値観に対するカウンターカルチャーとして台頭した東洋思想に対しても拒否を突き付けます。これには「易経」(儒教の教典である五経の一つ)や「ギーター」(バガヴァッド・ギーター。ヒンドゥー教の聖典の一つ)、「仏陀」や「マントラ」、「ヨガ」が含まれます。どれも、当時のヒッピーたちに流行した書物や思想です。ビートルズのメンバーも当時は少なからず影響を受けました。
そして、宗教だけでなく政治に対する不信も示されています。「ヒトラー」や「ケネディ」、「国王たち」(イギリス王室に対する否定?)がそれに当たります。
最後に、彼にとって重要な音楽的象徴に対しても否定を行っています。「エルヴィス」はもちろんエルヴィス・プレスリーです。子供の頃のジョンにとって、彼はヒーローでした。
「ジマーマン」は少しわかりづらいですが、ボブ・ディランのことです。(出生名がロバート・アレン・ジマーマン。後に本名もボブ・ディランに改名。)ビートルズ時代に出会い、音楽的にも思想的にもジョンは大きな影響を受けました。
そして、「ビートルズ」。彼がかつて所属していたグループです。それについても、彼は信じないと断言します。
あらゆるものを否定した後に彼はこう結論付けます。
I just believe in me
Yoko and me僕は自分だけを信じる
ヨーコと僕だけを引用:John Lennon "God"
何者も理想化せず、何かを盲目的に崇拝することもなく、ただ自分のみを信じる。それが彼がそれまでの人生を経て辿り着いた結論なのです。
I was the dream weaver
But now I'm reborn
I was the Walrus
But now I'm Johnかつて、僕は夢の織り手だった
でも、僕は今生まれ変わった
かつて、僕はセイウチだった
でも、僕は今、ただのジョンだ引用:John Lennon "God"
後半の詩は、彼のビートルズに対する否定と、一つの時代に対する別れが主題になっています。ビートルズという殻を抜け出た彼はやっと自分自身になり、生まれ変われたのです。(「I Am The Walrus(僕はセイウチ)」という、サイケデリック期の中期ビートルズにおけるジョンの代表曲をかけた歌詞になっています。)
そして、ビートルズでの活動やヒッピー運動、サイケデリック・ロックのような様々な60年代的ムーブメントの終わりを総括して、彼はこう締めくくります。
The dream is over
夢は終わった
引用:John Lennon "God"
11. My Mummy's dead
My mummy's dead
I can't get it through my head僕のママは死んだ
自分でも理解できない引用:John Lennon "My Mummy's dead"
アルバムの最後を締めくくるのは、1分足らずのおまけトラックのような曲です。ジョンの歌声とギターの音が、古びて壊れてしまったテープから流れてくるかのように聞こえてきます。
小品ですが、1曲目の"Mother"と並んでアルバムのコンセプトを最も表した歌詞になっています。ジョンはここで、母の死とその苦しみを淡々と歌っています。"Mother"のような激しい絶叫ではなく、静かに事実を述べるような歌い方です。
おわりに
ギリギリ今月中に間に合いました。
